「学歴なんて関係ない」大人になってそう言われることが多くて、気になっていてもその気持ちを気にしないように過ごしてきました。でもある時、ふと何度も「大学に行きたかった」と思う自分がいて、その都度、調べてみては「実際には無理だよなあ」と諦めてきました。
子どもに託す本音に気づく
気づいた時から幼児教室に通わせ、その教室が小学校受験を併設していることから、小学校受験を意識するようになり、息子は私立小学校に通いました。その後、中学受験もさせることになり、数年間、大手受験塾をはじめとする塾に何度も転塾しながら通わせていました。今思うとそれは、彼にとっては向いていないことでした。でもそれは今思えば、私の中のコンプレックスからきた「子どもには苦労させたくない」という一方的なな思いだったのだと思います。
中高一貫校に入りあっという間に進路を決める時期、その時から大学受験を意識するようになり、割と遅めに受験に関係する塾に入りました。その頃の私は、息子に対しての大学受験はそれほど意識しなくなっていました。
そして時間が経ち、高二の冬になったろ、いよいよ本格的に進路を決めなくてはならないという時期になって、息子の進路に向き合う時期になったことがきっかけで「自分が大学受験をしたいんだ」という気持ちに気づきました。
短大から通信制大学卒業まで
育った家庭が経済的に厳しかった私は、大学に行くお金がありませんでした。友達が大学受験をしたり、予備校に通ったり、専門学校に通う姿を見て、羨ましくて仕方がなかった私は「なんでうちはこんなに貧乏なの」と、親に言ってしまったこともありました。そのことについてはすごく反省しています。どうしたら大学に行けるんだろう・・。そう思った私はいろいろな選択肢を調べました。そしてその環境の中で見つけた道は、夜間の短大でした。学費も昼間よりも安く、そして昼間働きながら通えるという状況は、その頃の私にとって光が見えた瞬間でした。
月曜から金曜まで昼間は働き、夕方から短大に通った2年間は、今思い出してもとても充実した2年間でした。決してラクではありませんでしたが、今でも忘れられない思い出です。
その後、48歳で通信制大学に編入。
この頃は仕事をしていたのですが、大学院で経営を学びたいという気持ちがあったので、その受験資格を得るためにも、通信制大学という方法で経営を学ぶことを選択しました。
通信制大学卒業から大学院受験へ
予定通り2年間で卒業した私は、当時の予定どおりに大学院を受験しました。当時、ある企画で「大学院への道」というテーマで音声配信をしていた私は、大学院受験への道をリアルに配信しながら勉強を続けていました。経営を深く学びたかった私は「MBA」が取れる大学院を選び受験。その中で合格をいただいた大学院がありましたが、その時期と同時にある出来事がきっかけで体調を崩したことで収入が途切れてしまい、学費の400万円を払うことができなくなりました。その頃からしばらくの間は、自宅で過ごす日々が続いていきました。
再び湧き上がる学びへの思い
その後しばらくして、大学受験というものに向き合うようになった頃から、大学に行きたかった過去の自分が何度も顔を出すようになりました。それは数日ごとというときもあったし、数年ごとということもありましたが、いつもいつも私の中の後悔として思い出すものでした。
この気持ちは一生消えないのかな・・
でも今からやってどうする?
そのお金はどうやって出すの?
主人が反対している中でどうやって進めるの?など・・
できない理由がたくさん出てきて、少し初めては辞める・・ということを繰り返すまま、時間だけが過ぎていきました。
本当は私が通いたかった
子どもの塾を探し、入塾が決まったとき、「私が通いたい!」と心から思いました。勉強に興味がない息子は、それほど前向きではありません。塾の費用を捻出していた私は「私が通いたいくらいなのになんで本気を出してくれないの??」と言っていたし、塾に通って勉強をすることが羨ましくて仕方がありませんでした。
塾の費用は高額です。本当は自分が通いたい!と思っていた私は、子どもが出される宿題を自分もやるようになりました。参考書も2冊買い、息子用と自分用を用意。そして出されたスケジュールに沿って、自分も同じように勉強をはじめました。
自分でやっているので、先生が見てくれることはありません。つまり、わからなかったところやつまづいてしまったところは、自分で対処するしかありませんでしたが、それでも進めることで自分を納得させていました。
正直、大学受験の勉強をしたところで、その後に大学に通えるのかと言ったらその時点では「無理」でした。奨学金を借りていくことしか方法がなかったこともあり、しかも家族にそんなことを言ったら大喧嘩になることもわかっていたので(実際に以前に何度も、その件で大喧嘩になっていたから)自分の中で迷いがあったことも事実です。でもそんな中でも手を動かしていた原動力は「やり残したことがあるような気がする・・」という思いからだったような気がします。
52歳からはじめた受験勉強
これまでの数十年間、何度も顔をだす「大学に行きたい」という思い。
その気持ちを持ったまま生きていくのが嫌だと思うようになっていたけれど、でも実際には「これをやってどうするの?」という気持ちが常にありました。
「そもそも行く意味あるの?」という迷い、「お金はどうするの?」という現実、「主人にまた大反対されて大喧嘩になる」という気持ち・・。その度に心は大きく揺れていました。
意味があるのかと言われたら、意味はないのかもしれません。でもその「意味」とは、世間での評価や一般論であって、自分自身が意味あると思えるのであれば、そこから拡がる道はきっとあると思えるようになったのです。
英単語から始めた勉強は、先が見えない中でも一歩を踏み出すきっかけになりました。







-1024x292.png)