2026年に入ってからも、これまでの人生を振り返ったり、これからのことを考えたりしながら過ごしていましたが、そこでどうしても気になってしまうのが「未完了」な出来事でした。私はその時52歳。周りからいろいろな意見だったりアドバイスだったりをたくさん受けてきましたが、やっぱりどうしても気になってしまうのでした。
「未完了」を完了させたい
私の中の「未完了」は主に2つありました。1つは「大学受験」そしてもう1つは「気象予報士」の試験でした。それぞれ、10代や20代でおきたことなのに、数十年が経っても、その時の記憶が忘れらませんでした。どこかで止まっているような気持ち、新しいことをはじめても何か納得できない感じ・・。そして、その傷のようなものが、忘れた頃にふといつも顔を出してくるのです。
大学受験
50代になってから、大学受験をしようと思い、予備校を調べてみたり、書店を何度も何度も回って、参考書を買いあさってみたり、ネットに載っている参考書ルートに沿って勉強を独学で進めてきました。予備校に見学に行って、社会人でも通えるかな・・と入り口に入ったのですが、周りの環境というか空気がどうしても馴染めなくてそのまま帰宅してしまったことも何度かありました。保護者のふりをしてパンフレットをもらってきたり、本当は自分が通いたいのに、現実的なことを考えれば考えるほどその道は先が見えませんでした。
問題はお金。予備校費用100万円。これを独学にして長い期間がかかったとして参考書代は払えるだろうと読んでいましたが、結局はその先の費用を考えると、その学費400万円を払うことは現実的ではありませんでした。
ちょうどその頃、息子は高2。自分の夢を子どもに託すことで、自分の願いは叶えられるのだろうかとも思ったのですが、あいにく息子は勉強が好きではなく、塾に行ってもその見返りを感じられず・・。本当は私が行きたいのに・・といつも思いながらイライラしていた時期もありました。悔しかったんですね。自分が行きたいのに、無駄にされているような気がしていたから。でも、自分の「未完了」は、自分で解決しなければ意味がないなと思ったのです。
気象予報士
かなり長い間、大学受験の勉強を独学でしながらも「これでいいのかな」「私は何のためにこれをしているのだろう」と何度も悩みました。先が見えない勉強、そして合格を目指したとしてもそれを叶えられることができないのなら意味がないような気がして辛かった日々。そんな時、ふと、20代の頃挫折してしまった「気象予報士」のことを思い出しました。
20代の頃、モデルの仕事をしていた私は、強みを身につけたいと思い、気象予報士試験に挑戦していました。忙しい最中でしたが、仕事終わりに予備校に通い、学科を先に受験し、合格後に1年以内で実技合格(気象予報士試験合格)という目標を掲げていました。
学科試験の際には寝る間も惜しんで悔いのないほど勉強し、一般試験と専門試験を受験しましたが、一般試験の中に苦手な理系の計算問題がたくさん出た年だったこともあり、それまでの勉強の成果を出せず一般試験が1点足りずに不合格になりました。当時の仲間も「難しかった!」と言っていましたが、2つとも学科に合格。私だけが次の試験までにまた一般試験用の勉強と実技の勉強を両立することになりました。その時のショックは今でもはっきり覚えていて、その先の試験で一般試験に合格した際には、もうエネルギーが切れかかっていたのです。
仲間が合格していく。その中で実技の勉強に身が入らなくなっていた私は、体調を崩ししばらく仕事を休むことになりました。当時、お天気キャスターのスカウトを受けていたのですが、そのお話も断り、また自己嫌悪・・。頑張らなきゃと思えば思うほど空回りをしてしまい、結局そのまま諦める形で自分の中で区切りをつけていたつもりでした。
ツァイガルニク効果
そしてそれから25年が経った頃、ふと「またやってみたいな」「未完了を完了させたい」という思いがふつふつと湧いてくるようになりました。いつも思い出す過去、先に進んでいるはずなのに思い出すこと、そしてそれをしたところで何かの役に立つというわけでもないこと。そうわかっているからこそ、周りは止めました。特に主人は。
なんでこんなふうに感じるのだろうと思い調べてみると「ツァイガルニク効果」という現象を知りました。これは、達成したことよりも、達成できなかった未完了のことを覚えている現象のことで、心理学者のクルト・レヴィンとブルーマ・ツァイガルニクによって提唱されたそうです。
この効果は場合によると無駄な時間を過ごすことにもなりがちですが、私はこれまでずっと長い間、これらのことを思い出し、ことあるごとに「やりたかった」と言い続けているなと感じました。代替案をやってみても、それでは意味がなくて、結局はここに戻ってきてしまう・・。不器用なのは承知ですが、人生の中でやり遂げたいことの1つとなったのです。
意味があるかどうかは自分が決める
年齢を重ねていくと「それをやっても意味がない」「他のことをした方がいい」というような言葉を言われることが増えてきます。自分自身もそう感じることが増えてきましたが、結局のところ、納得できるかどうかは自分次第だと思うのです。
私はここ数ヶ月の間で、今までにないくらいに自分と向き合ったような気がします。意味があるかどうかはやってみないとわからない。でも、現実の生活を考えると、無謀な行動ができないのも事実です。だからこそ、今の自分を壊すことなく無理ない範囲でやっていく。選択肢は探し出せば必ずあると思うのです。悔いのない人生って、きっとそんなふうに過ごすことなのかもしれません。大きなことは言えませんが、今できることを自分の形で進めていけたらと思う今です。






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